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【サンプル1】プロローグ |
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大人とはある一定の年齢となれば、何か特定の経験を積めば自ずとなれるものではなく、みな不完全で危うい子どもの自分を覆い隠す仮面を付けて演じているだけなのかもしれない。 成長過程の危うい体と心を持て余した思春期の少女たちを保護者から一時的に預かる「学校」という場を主に舞台としていることから、受けたのはそんな印象でした。 自分を変えよう、と踏み出した聖羅はひょんなことからサディストだという保険医の先生、秋人と恋人になるのですが、凝り固まった聖羅の体と心を文字通りほぐしてくれた秋人もまた、表の顔である「保険医」と裏の顔である「サディスト」の仮面の下で、癒えない傷を抱えた子どもであることが示されます。 大人とは結局は幾つもの傷を抱え、時にそれをやり過ごして、それでも生き延びることを諦めなかった生存者であり、今現在もがき苦しむ子どもたちに出来ることがあるとすれば、彼らに真摯に向き合い、寄り添うことなのだろうか。 問題を抱えた生徒たちと向き合うことは、かつての少女だった自分と共に生き続ける聖羅への問いかけのように重くのしかかります。 重いテーマを扱ってはいますが、空想と現実の世界を行き来しながら、初めての恋人や友達との関係性の築き方、はたまた自分らしいスタイルの見つけ方に四苦八苦し、時に空回りする聖羅はとてもチャーミング。起伏のある展開と個々のキャラクターの魅力を軸に、どんどん読ませる力に溢れています。 逃れられない過去を受け入れ、赦すこと。本当に大切な物を選ぶこと。 不完全な思いを預けあい、時に傷つけあいながらそれでも「誰か」と共に生きることを通して、聖羅は自身の生きる道を見つけ、自分を守ってくれた空想の世界を手放す決意を決めます。 自分の居場所を、手に入れられるかもしれない安寧を手放してでもすべきことを追い求め、旅立とうとする聖羅の姿はどこか、物語の虚構の世界を通して違う人生を生き、そこからまた現実へと戻っていく私たちにも重なるよう。 全ての「生存者」たちへの優しいまなざしに心を掬われるかのような、とても優しい物語でした。 | ||||||||||
推薦者 | 高梨 來 | |||||||||
推薦ポイント | 物語・構成が好き |
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大人というのは子供に見栄張ってがんばる生き物でなければならないというのが第一の感想。 先生群と生徒群。まだ未知のものとかつてそうだったものの対話。現実と幻想の対話。本音と建て前。 聖羅は自分の事がわからない、他人のこともわからない。わからないなりになんとかなってきてしまっている。けれどそれを平穏だと自分を騙せず、ついに1歩踏み出す。踏み出し方がふるってる上にナナメ上で、着地がうまくいったのは本当にラッキーとしか言いようが無いけれど期待は確信になる。ここから彼女の再生はスタートするのだと。 幻覚と(自覚あるまま)話し、何度も内省を促される聖羅。けれど、それまでずっと同じ職場だったはずの職員室には友人ができ、学内の保健室には恋人がいる。同じ世界のままなのに、歩を進めれば違う様相が見えてくる。合縁奇縁といわれるもの。生真面目すぎる聖羅の、周囲との斜めな問答は、彼女を応援したくなる仕掛けであり、テーマの割に明るく読めるのはコミカルな会話劇があるからこそ。そして幻覚も夢も最初のおどろおどろしい対話から滑らかに戯画化され、決着のシーンはむしろ童話のよう。聖羅の内面の変化は聖羅の視覚の中でも姿を変えていく。 もちろん一直線にうまく行ったわけではない。行きつ戻りつ、そして外を向いたことによって友人の、恋人の、生徒の、上司の、苦しみや間違いも流れる風景から本流の中へと身を置くこととなり聖羅も傷つく。けれどそれも聖羅の糧となる。 教師として大人であり、内面に子供を引き摺ったままの聖羅という女性の、選択と成長がとても清々しい物語。 R18ですがその辺りの場面はそんなに多くないですし描写も短めなので気になる方はぜひ。 ところで(ここから素)、サディストって触れ込みだった保健室の先生はエー、むしろMだよねこの人……。 あと、個人的に《初めての友達》牧野先生にはがんばって欲しいです。応援。共依存の気持ちよさから抜け出すの、すごい決意だと思う。これも大人が子供に見せたい虚勢。空威張りでも、心は震えていても、子供に安心をあげたい気持ちは本物。聖羅さん、友達大事にしてね。 | ||||||||||
推薦者 | まるた曜子 | |||||||||
推薦ポイント | 人物・キャラが好き |