昔々、淡路島に芝居好きな若い狸が住んでいました。この狸、面白い芝居の噂を聞けば人間に化けて見物に出かけ、また役者になりきって素人芝居の真似事までいたす芸達者でございました。狸に化かされながらもおおらかな淡路の人々は、その狸を芝右衛門と呼んで可愛がっておりました。 いつの年でありましたか、仮に明和三年としておきましょう。芝右衛門の耳に、大坂は道頓堀にある「中の芝居」が面白いと噂が届いたのは。その年の正月の操人形浄瑠璃の新作で人気を博したものを歌舞伎に移したそうで、神の使いの狐が舞い踊る華やかな舞台が見どころとのことでした。 芝右衛門は、鼻をぴくつかせてひげをしごきました。何やら楽しそうな予感がします。興味を存分にそそられた芝右衛門は、さっそく大坂に出かけることにしました。人間に化けるのはお手のもの。芝右衛門は若侍に化けて船に乗り、大坂に乗り込んだのでした。
天下の台所と呼び声高い大坂には、芝居小屋があちこちにありました。中でも道頓堀は、芝居小屋が集まる町でございます。浪華の五座といろは茶屋と呼ばれるたくさんの芝居茶屋で、道頓堀は大変な賑わいを見せておりました。芝居につめかける人々で賑わう道頓堀を、芝右衛門はうきうきと歩きました。傍目には、大坂にやって来た田舎の若侍が物珍し気にしているように見えたことでしょう。芝右衛門は中の芝居で、淡路島まで噂を聞いた芝居を見物いたしました。 ご存知でしょうか、「本朝廿四孝」という芝居を。なかでも、「十種香」の八重垣姫の可憐さ、腰元・濡衣の悲しみに彩られた美しさに夢中になり、続く「奥庭」で狐とともに舞い踊る八重垣姫に陶酔いたしました。 大坂への滞在予定は、一日二日三日とどんどん伸びて、中の芝居だけでなく道頓堀の他の芝居小屋まで出掛ける始末。故郷の淡路島のことはすっかりと忘れ、夢のような日々を芝右衛門は過ごしておりました。 芝居の木戸銭や芝居茶屋への支払いは大丈夫だったか、でございますか?心配ご無用。狸の奥の手つまり木の葉の小判で支払っておりました。が……とうとうそれが通用しなくなる日が、やって参りました。 芝居小屋では、毎日毎日木戸銭に木の葉が混じっていることに気がつくようになりました。狸か狐の仕業に違いない……そう考えた人々が、犬に芝居にやって来る人を見張らせたのです。
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