出店者名 エウロパの海
タイトル 星の指先
著者 佐々木海月
価格 500円
ジャンル ファンタジー
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紹介文
「人間が、この星に遺せる、唯一のもの。」

滅び行く世界と、続く戦争と、
そんな人間たちを見捨てた青年との出会いとを描いた、SF小説。
滅亡と再生のための、静かな、静かな物語。

偽物だ、と。
 私は、静かに確認する。
 窓から見上げた夜空は、私が生まれる前からずっと変わらず、偽物だった。
 地下に造られた都市には、本来、昼も夜もない。地上を懐かしむ人々のために、人工の光で昼を作り、人工の月を浮かべて夜を作っている。  雨は降らず、風も吹かない。気温の変化も、ほとんどない。
 孤独であれ、と。
 私は、静かに呪文を唱える。
 ほかの人々が何を求めようと、それは、私には関係のないことだ。

 ベッドサイドの小さな電灯を頼りに、寝間着から軍服に着替えた。もう何年も前に、古着屋で買ったものだ。裾には、焦げた跡が残っている。焼けて穴が開いているところも、何箇所かある。男性用の一番小さなサイズだけれど、私が着ると袖が余る。ごまかすために、腕まくりをした。
 地上で行われた最後の戦争から、すでに数十年が経っている。軍人さんといえば、街の警備や、人助けや、危なくて力が要ることをやってくれる人のことだった。この軍服を着ていた誰かのように、炎と銃弾の中を生き抜いた人々は、もうとっくに退役して、その多くは、この平穏の中で人生を終えていったのだと思う。戦争があったということはもちろん、人が地上で生活していたということさえも、もう、歴史の中の出来事のひとつになっていた。
そして、未だに地上は死の世界で、もう人間が住める場所ではないのだと、みんな、口を揃えて言っている。呪文のように。願いのように。  そう信じることで、今の平穏で幸福な生活を、守ろうとしているかのように。
 さよなら、と私は声に出す。
 家族に。友人に。この優しく、平穏な、偽物の世界に。


それでも、『希望』という名の光はここに
死の世界として荒廃した地上を追われ、変化の無く平穏な、まがいものの幸福で形作られた世界に生きていた「私」は祖母の部屋で見つけたかつての荒廃する前の世界の地図と、彼女の記憶の中でだけ生き続けていた失われた世界を探し求めるため、あてのない旅に出る――

物語は、厄災が溢れ、荒廃していた「まがいものの幸福」で守られる現代を遡り、過去へと巻き戻される。
人を寄せ付けない「死の森」へと降り立ったリシュームはそこでひっそりと生きる人々、彼等が森の奥に覆い隠し、守ろうとしてきた物の存在を知る。
どこかもの悲しく、それぞれ固有の寂しさを抱えた彼等の交わす言葉のひとつひとつは、本音を覆い隠したような余韻と心の色を読み手に映し出す。静かな寂しさを滲ませる彼等の紡ぎ出す言葉や、そこに潜んだ感情の欠片たちは滅び行く世界を、やがて否応なしに訪れるであろう「死」を、「最期」を目を逸らさずに見つめながらも、凛とした美しい魂のありかを示す。

「ここではない世界」
秩序のあり方も、社会の成り立ちも、そこで生きざるを得ない人たちに去来する思いもわたしたちが生きる「いま・ここ」とは違う場所を、そこに息づく人たちの移ろう魂のあり方を、澄んだ力強い筆致は色鮮やかに克明に描き出す。それはまるで、この宇宙が生まれた一三七億年の年月の中で照らし出された光のほんの一瞬のきらめきを切り取ったかのように力強く、どこか儚い。

感情を切り開き、見たことがない景色・感じたことのない思いへと連れ去ってくれることを楽しみに書物を開くわたしにとって、この物語の開く世界に導かれている時間はまるで、降り立ったことのない星に招かれ、長い長い時間をかけて彼らが紡いできた軌跡の一端をほんの僅かにだけ覗き見ることを赦されたような、そんな不思議な感覚を残してくれました。
物語の結末、「城」の中に閉じこめられることを選んだ彼が自らを捕らえた檻を抜け出した後、託された「希望」が息づいていたことを、長い長い時間をかけてバトンを受け取った「私」は自らの目で確かめる。
地上を食いつぶし、まがいものの平穏な世界を守ることで生きながらえた人間たちの力の及ばないところで「生命」はその根を絶やさずに生き続けていた。指先で僅かに触れた星のあとさき。そこに潜んだ光のきらめきとあたたかさに、胸を掬われるかのような余韻をいつまでも残す一冊。
推薦者高梨來