出店者名 オカワダアキナ
タイトル 人魚とオピネル
著者 オカワダアキナ
価格 500円
ジャンル 大衆小説
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紹介文
東京都大田区平和島、運河にはうみへびが泳ぐ。こともある。
中学生の百子は母と姉と団地住まい、学校は休みがち。膝カックンによりクラスメイトに怪我をさせ、偶然の加害者になってしまったからだ。
近所の火事騒ぎをきっかけに、隣の部屋に越してきた大きな男・山田倫太郎(略してリンダ)と仲良くなる。
リンダは人魚を飼っていると言う。百子はまだ見ぬ人魚のことがなんだか羨ましい。
七月の蒸し暑さを逃れるように水風呂に浸かり、ある日小さな折りたたみナイフ?オピネル?を拾った……。
埋め立ての海で夢とうつつが堆積し、さみしい子どもは手足を切らない!

恋が死んでも友だちに嫌われても隣人同士で手をとりあうよみたいなお話です。

 京浜運河でうみへびを見たことがある。公園の浜辺に打ち上げられていた。干潮によりすがたをあらわす浜はねばつく泥で、散らばる貝殻の破片だけが白かった。きっとこのうみへびは、東京湾を徘徊するうちに運河に迷い込んでしまった。大井ふ頭中央海浜公園はだだっぴろく、ヒトだってしばしば迷子になる。あたしとうみへびは同じものだと思った。
 団地の子ども会でバーベキューに来たときのことで、小学生の頃だから、つまり千年前だ。姉はすでに中学生で参加せず、母も仕事で来られなかったため肩身が狭かった。
 バーベキュー場のそば、運河沿いの護岸はハゼつき磯と看板が立っており、おじさんたちが幾人も釣り糸を垂らしていた。磯のにおいと肉を焼く煙とが混ざり合い、風は湿ってまとわりつく。護岸沿いに運河をさかのぼると人工の干潟だけれど、柵があってヒトは奥まで入れない。サカナやトリやムシでなくてはならない。
 ぬかるみを端まで歩いた。サンダルの足跡が歩数ぶん、律儀に残った。あたしは証拠を残して歩いているのだと思った。何をしていても誰かに見られている気がする。
 運河はつねに波も流れもおとなしく、水面は寝ぼけている。わずかなゆらめきに灰色のからだが打ち上げられていた。にゅるっと伸びて、白いおなかが西日によって青や黄色にひかった。虹だ。しっぽはまるく絡まっていた。ずいぶんおおきいし長い。あたしの腕より長そうに見えた。こわかったのにみとれてしまった。じっと動かないが、まだ死んではいない。どうしてかそれがわかった。
 これはうなぎだろうかあなごだろうかと眺めていたら、通りがかった知らないおじいさんが言った。
「そりゃあ、ダイナンウミヘビだろうね」
 釣り人だ、竿とクーラーボックスを下げていたから。
 へびというけど爬虫類ではない、うなぎやあなごの仲間でサカナなのだと教えてくれた。顔やひれで見分けられるとおじいさんはまじめな顔をした。尾びれも胸びれもない。まるく長いからだのわりに顔つきがするどい。食べてもあまりおいしくないのだという。