出店者名 オカワダアキナ
タイトル 文學隊
著者 齊藤
価格 300円
ジャンル 詩歌
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紹介文
短歌と140字小説をセットにした作品集です。全30作。「鈍色の躰」「たゆたう」「植物展」のみっつにわけてそれぞれ10作ずつ収録しました。
31音と140文字で織りなす後悔や羨望、なんでもない日々の豊かさ。かなしみ。かつての、ぶつ切れの記憶。あったかもしれない結末。それをパッチワークのように縫いあわせて、角砂糖のようにして壜に詰めました。きれいにならないあらゆることを、31音と140字におさめてみると、ふしぎなことにすこしだけ美しくみえるような、踊ることを許されたような気がします。30作のうち13作は齊藤のTwitterで公開しており、17作が書下ろしです。

ぼくのこと 豆挽くように粉にして
すこし蒸らしてやけどしてくれ

焙煎からやらなくてもいいから、偽物のぼくを力いっぱい砕いてほしい。もし炒るのならどうかおねがい、あの世のようにまっ黒にして。にがくて酸っぱい珈琲になるね。棄ててお仕舞い。きみがぼくを棄てることは正義だ。ぼくのための任務だ。だけどその前にひとくちだけ味見をして、やけどしてお仕舞い。



嘲笑ときみが遣った迎合を
潜水艦の窓から覗く
夜の高速道路の橙色、観覧車の灯り。霰が斜めに交差しながら舞い、川べりを濁した。ぼくは顎を引く。ちいちゃくて廃れがちな遊園地のそばで遊覧船をみている。映画館での逢引の記憶はメロンソーダ。ぼくが拒んだと主張したい。横浜は動かないよ。自由律俳句できみを撒いて、此処から先は侵入を禁ずる。


行き過ぎる隊列
 音楽隊とは多くは野外を、演奏しながら行き過ぎる隊列です。それなら"文學隊"は? なるほど本作は、短歌と140字小説とが組んで列をつくっているように思えました。わたしたち読者の前を通過してゆく。わたしたちは歌を小説を、見送る。
 本作は短歌と140字小説が組になって並んでいます。短歌の情景を小説が解説している、というわけではないでしょう。歌と小説とは絡み合いますが、補うより並列、いっそ煙に巻いていくようでもあります。
 たとえば「目に見えぬ片仮名のもじ貼り付けて 僕がゐたよと白紙の証書」という歌があり、となりで小説は、「切り株を積みながら独りごちる。」とはじまるのです…。
 140字小説で頭に浮かぶのはツイッターです。たとえば#twnovelのタグで検索すると、ひとつのツイートにおさまる小説がさまざまつくられています(タグを用いると字数減りますが)。みじかい字数のなかで、ことばを研ぎ澄ますところ、抜くところ、作家の目と手があらわになります。そうしてほとんどはタイムラインを流れていってしまうから、ピンで留めるみたいにハートを投げる(投げられる)。
 齊藤さんの140字小説は、モチーフやことばが鮮烈です。主語や指示語を落としたり、ふいっと投げて終わったり、離着陸が心地よい。「溶けるのをあきらめたバターみたいだ」、「得体の知れない味のお酒が注がれる」など具体的な語に字数を割くいっぽう、ぶつんと回線を断つ。「横浜は動かないよ」。
 「僕」が見つめ、あきらめ、乞う「君」や「あなた」はどんな姿やにおいだろう。いかようにも捉えられます。短歌はBL読み、百合読みをすることもできるかもしれない。わたしは詩歌にあまり明るくないですが、詩的な飛躍やぶつかりについて、気ままにフカヨミするという楽しみかたがあってもいいのではないかなと思っています。たぶんそういう身勝手をゆるしてくれている本。
 個人的には、本作に限らず齊藤さんの作品は「東京」を意識させるなあと感じました。東京の街ですれちがう誰かは、それきりとどまらない。行き過ぎる影やにおいを見送るように、本作を味わいました。齊藤さんのツイッターで本作に収められたいくつかがのぞけますので、ぜひ読んでみてください。隊列は静かに過ぎ、ばらけ、記憶が刻まれます。
推薦者オカワダアキナ