出店者名 博物館リュボーフィ
タイトル 淅瀝の森で君を愛す
著者 まるた曜子
価格 500円
ジャンル 大衆小説
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紹介文
【淅瀝(せき-れき)】1.雨雪や風の音。2.落葉の音。3.寂しいさま。(広辞苑 第六版)

兄に嫁いできた美人の義姉とその連れ子、《なあ》。
栗色の髪と灰の瞳の少年は、家族経営のスーパーで支え合いながら暮らしていた舞生の家族を一目で魅了した。
仔猫がじゃれ合うような姉弟のまじらい、あたたかでおだやかな家族の営み。
しかし、大学進学のための独立から歯車が狂い始める。

『あの時、あの瞬間、世界がひっくり返るくらい憎めれば良かったのに。』
家族、未来、執着と恋。惑う子供達の20年の漂泊。
愛はなんにも解決してくれない、それでも。


※カクヨム・小説家になろうに全文掲載しています。
※ちなみにウチの本でいちばん重いです。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882798645

 小さい頃から、あたしはお兄ちゃんのマネをして親の手伝いをする良い子だったし、ゲーム気分で万引きするような男の子達が大嫌いだったし、そんな子達が恐れつつも忍び込んでいた隣町の駅前界隈には興味がなかった。母親に「危ないから近寄っちゃダメ」と言われれば、近寄らない素直な子だった。
 結花さんがそこで働いていて、なあはそこで産まれて、そこの常識で育ったことを知らなかった。
 両親は知っていたから、兄たちの結婚に渋い顔をしていたのだ。そういうところで働いていた女の人が、うちのような薄利多売でとにかく身体を動かさなきゃいけないような仕事に馴染めるとも思えなくて。そして、あの町で産まれた子供たちがどれだけ教育水準が低くて粗野に育つものか、知っていたから。
 けれどお義姉さんは根気強い兄に支えられて、時々投げ出したり、癇癪を起こしつつも、2代目の嫁になっていった。なあも、アホでぼんやりしてるけど粗暴なところはなくて両親はこっそり安堵していたのだ。あたしが嫌がらずに勉強を教えてかわいがったので、なんとかなると踏んだのだろう。
 ならなかったよ。
 このこの笑みは生存戦略だ。
 先天的か後天的かなんて知らない。
 このこの元来の性格なんて、わからない。
 けど、環境下で、生きるため、大人に懐こくかわいがられる子になった。
 ひどいよお義姉さん。
 あたしは理解できない。ふたりがこわい。
 生活費の足しに、贅沢のために、このこが受けた仕打ちは、取り戻せない。想像つかないよ、幼稚園児や小学校低学年の男の子が添い寝で、寝るだけじゃなくて、お金をもらうなんて。
 かわいかったでしょう、8歳でだってあんな天使みたいだったから、幼かったらもっともっと。愛くるしい子だったでしょう。そんな子が自分の言うがままにいろんな、いろんなことを、

 ―――気持ち悪い。

 もうだめ。
 そういう世界がこんなに近くにあることがこわい。
 空嘔吐いて、涙が滲む。
 一週間食欲もなく眠れずに過ごして、安心して眠るには、なあを安心させなきゃダメなんだという結論に落ち着いた。
 なあをそんな世界に戻したくない。
 もう、結花さんの願望通りだ。
 でもそれってあたしが犠牲になれば留められるの? 救えるの?
 じゃああたしは?


重いけれど、面白い
「淅瀝」はまおとなあの20年にもわたる関係を描いた作品です。
その間に、なあがまおに見せる顔は様々に変化していきます。
まおが大学生になって一人暮らしを始めたのをきっかけに、天使のようなかわいい《弟》だったなあが「こわい」一面を見せ、ある事件が起きてまおは深く傷つきます。
なあはまおに強い執着を見せますが、まおにはなぜそうなるのかが理解できません。この時期のなあは、本当に怖いです。
その後まおはなあが性的虐待を受けて育ってきた事実を知ることになりますが、だからといって怖くなくなるわけではなく、より深い悩みを抱えて苦しむことになります。
重い? そうかもしれません。
ですが私の率直な感想を言うと、ものすごく面白かったんです。まおの気持ちを考えると本当に申し訳ないのですが、私はページをめくる手が止まりませんでした。
得体の知れないなあが怖くて、ハラハラドキドキしながら読みました。

もしこの部分だけ切り取って、なあの怖さを強調して書けば、サスペンスかスリラーになるかもしれません。
性的虐待を受けた子どもが歪んで成長し無邪気なストーカーになり、主人公が怖い目に遭って、なんなら悲劇的な結末でも用意して「なんて可哀想……」と読者をやるせない気分にさせて、「社会派」と銘打つことも。
それでも良作になるかもしれませんが、そうしなかったのがまるたさんのものすごいところ。
まおがなあから離れることに成功し、この「怖さ」がひと段落ついても、ページはまだ半分ほど残っています。
ここまで読んだら、「これから二人はどうなるの?」と気になって仕方なくなっているはずです。

重いテーマなのに湿っぽい感じがせずどんどん読めてしまうのは、まおが苦しみながらも自己憐憫に逃げず、停滞せず、なあにも自分にも真摯に、また冷静に向き合おうとするからだと思います。
それはたぶん、まるたさんがまあとなおを「可哀想」という目で見ていないからでしょう。
だから私も、二人がどうか幸せになりますようにと祈るような気持ちで読むことができました。
「可哀想」という同情は優しいけれど、なんの解決ももたらしません。二人がもがき苦しみながらひとつの結論を選び取るまで、作者としてとことん付き合ったまるたさんは、本当にすごい作家さんだなあと心の底から思うのです。
推薦者泡野瑤子

たどり着いた「愛」の形
幼児虐待とそれに伴う症状、アセクシャルと扱っているテーマは重たいけれど、読ませる文章だったので最後まで一気に読んだ。
人の数だけ愛の形や家族の形があっていいけれど、それは誰かを傷つけるものではなくて、包み込むものであることが前提だな、と思った。
傷つけられていたことに気づかなかったから、人を傷つけていたことにも気づけなかった、なあの抱えるものは重たい。なあにとってはまっすぐの、でも傍から見たら歪んでいる愛情をぶつけられてもなお、なあを最終的には一人にできなかったまお、彼女がそこまで身を挺するのは家族としてやはり好きだから、小さい時からなあを見ていたから、手を離せなかったのだろう。まおがなあの手を離せないでいる様子は見ていて辛くもあり、そこまで頑張らなくてもいいよ、と言いたくなるほど。加えて彼女は恋愛をしないというなかなか理解されない形で愛を持っている。 2人とも世間一般の「普通」からは違うものを抱えていて、痛みと苦しみを引き受けて乗り越えようとする姿が印象的だった。
まおとなあがたどり着いた形はひとつの答えだと思う。そして、近くにいる「家族」としての繋がりをまおとの間に持てるまでに、なあがなったことが読んでいてうれしかった。
推薦者海老名絢

人を愛することの尊さ
この物語は、子どもの性的虐待を大きいテーマとして取り扱っている作品である。
が、テーマとは別に、この物語の魅力は主人公〈まお〉の愛情だと思う。

〈まお〉は、幼児期に性的虐待を受けていた子ども〈なあ〉を、そうとは知らず、弟のように愛す。
結果としてそれは〈まお〉にとっては悲劇だったのかもしれない。
彼女はそれによってたくさん傷つき、苦しんでいく。彼女自身も、大切に思う〈なあ〉を傷つける。お互いにお互いを傷つけて苦しんで、それでも〈まお〉は〈なあ〉の手を放すことができない。逃げても逃げきれない。〈なあ〉が手を伸ばせば、彼女はそれを突き放すことができないのだ。
それは良い結果を生まないかもしれない、余計にお互いを傷つけるだけかもしれない。
けれど、何度も何度も選択を迫られるたび、自分自身が傷つけられる可能性を天秤にかけて、それでも最終的に〈なあ〉を選び続ける彼女を、私はとても尊いと感じた。
自己犠牲とはまた違う。傷つきたくないという恐れと怯えを抱えながら、間違った結果を生むかもしれないと思いながら、それでも愛した人を信じようとする〈まお〉の心は、抱きしめいほど愛おしい。

「なあは、あたしが育てたんだから!」

この言葉に込められた思いを、読んでみてほしい。
推薦者なな

あなたを救うために、私は大人になる
 「性的虐待を受けた子ども」をテーマにした作品はたくさんある。「淅瀝の森で君を愛す」もその一つだ。幼少時に大きな性のトラウマを持つ少年〈なあ〉は、美しい容姿と「社会に適応しにくい不安定な精神」を併せ持つ。14歳の少女〈まお〉は、兄の再婚によって〈なあ〉と暮らし始めた。世話焼きの〈まお〉は、常識知らずの甥っ子の面倒を甲斐甲斐しくみる。家族的な絆の中で、〈なあ〉は腹を空かせた子どもが食べ物を貪るように、愛を得ようと〈まお〉を求める。その結果、〈なあ〉は大人になっていく中で、決定的な間違いを犯し、事態は急転する。
 この物語は、虐待を受けた〈なあ〉自身ではなく、彼を救おうとする〈まお〉の視点から描かれている。可愛い天使のような〈なあ〉。そして、相手を愛する方法を知らない〈なあ〉。〈まお〉は、そんな〈なあ〉のありのままの姿を、受け入れようとしながらも、彼の病んだ世界に巻き込まれて傷ついていく。この物語の主人公は虐待の「被害者」ではなく、「その周りの人」である。
 〈まお〉は〈なあ〉との依存関係に苦しみながら、徹底的に「〈他者〉を救おうとする〈自己〉」と向き合うことになる。〈まお〉はその過程の中で、自分もまた、世間一般とは異なる「人の愛し方」をすることに気づく。〈なあ〉との関係があったからこそ、〈まお〉は「人の愛し方」という問題から逃げることができなかった。その結果として〈自己〉のあり方を捉えなおし、相対化していくことができた。この小説は、14歳の少女が、「理解できない〈他者〉」の存在に悩み、葛藤することを通じて、大人の女性として成長し、自立していく道筋を描いているのだ。
 「誰かを愛する」ということは、普遍化して定式化できるものではない。十人十色の愛し方がある。私たちは、それを「当たり前」だと思っている。なのに、日常生活では、ぼんやりと「恋愛」や「家族」のあるべき姿を、勝手に前提にしてしまう。だから、そんな日常生活が壊れて、「当たり前」が通用しない相手と取っ組み合って付き合ううちに、初めてその「人の愛し方」の規範は姿を現す。穏やかな生活を失うのと引き換えに、規範から解放され「愛すること」の自由を手にすることができるのだ。この物語は、「どうしようもない関係」の先にある、いや、あって欲しいと願うような「希望」を描こうとしている、と私は思った。
推薦者宇野寧湖



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