出店者名 イン・ビトロ・ガーデン
タイトル ウィンダーメアの座標
著者 灰野 蜜
価格 900円
ジャンル 純文学
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紹介文
B6判(128×182mm) 手製本
本文44頁
2017年1月22日 初版発行

白いつるばらの花に似た幼馴染の少女。
ロンドンに引越すことが決まった彼女に、僕は「星を観に行かないか」と誘われる。

互いが通じ合う切掛けとなった天球図譜、プラネタリウム、そして本物の星空??。
静かな輝きの中に二人は何を見出すのか。

 ロンドンに行くの、と野枝美が普段と変わらない硬質な発声で口にした時、僕たちは丁度杉下家のつるばらの生垣に差し掛かったところだった。
「へぇ」
 その時僕は、読みかけの推理小説のトリックについて考えていた。爽やかな新緑の気候には不釣り合いな、幽霊屋敷で起こる密室殺人についてだ。
「良いじゃないか。ロンドン橋が生で見られる」
「生で?」
 野枝美はまっすぐに切り揃えた前髪の下、訝しげに眉根を淡く寄せながら、隣を並んで歩く僕へと首を巡らせる。
「その場で実際に、ってこと」
 受けた視線を返すために彼女の方を見やると、そこにあったのはそれくらい言われなくても解っていると言わんばかりの、呆れたような表情だった。
「なまものじゃないものにも、生でって言うのかしら、という意味」
 なめらかな滑舌で紡がれた返答は、かえって棘を感じさせた。
 この場合の生はなまもの生ではなく、生中継の生に近いのではないだろうかという反論がすぐさま舌先に転がり落ちてきたのだが、過去の経験則に従って僕は唇を噤んでおくことにした。この議論の果てに得られるものは、費やす労力を裏切ってあまりに小さい。
「それで、いつ行くの?」
 僕は残り僅かとなった帰り道での会話を和やかに締めくくろうと、冒頭から逸れた話題を本筋へと戻す。
 春の連休が明けたばかりだというのにもう夏季休暇の予定が入っているというのは、随分気が早いような気もしたが、海外旅行とはそういうものなのかもしれない。まだ日本はおろか、生まれ育った神戸を含む近畿圏からも出たことのない僕には、想像すら簡単にできない話だ。


鳥かごいっぱいにひろがる星空を、覗きに行こう
 製本から本文の細部に至るまで綿密に、読者の網膜を通り越して直接脳裏に鮮やかな情景を映し出すように鮮明に浮かび上がっていく空間が特徴的な本作。シンプルなシナリオ構成でありながら、初めから終わりまで淡々と、滞りなく、それでいて鮮やかにふたりの関係性を描き出す。
 特に、ヒロインの野枝美の(概念的な)美少女ぶり、その描出の隙の無さ、翳りのなさは見事と言わざるを得ず、主人公の少年に深く深く刻みつけられていることが容易に想像でき、かつ、ふたりの微妙で絶妙な関係をより一層、限られた時間の中での儚さを添えながら煌びやかに描きとるといった手法には驚かされたし、何よりあまりにも緻密な描写で圧倒された。箱庭のような、鳥かごのような一種の閉じた世界を想起させつつも、小説が進むにつれて広がっていく星空のような開けたほのかな輝きをも包含している小さな宇宙のような小説。
推薦者ひざのうらはやお