尼崎文学だらけ
出店者名 今田ずんばあらず
タイトル イリエの情景 〜被災地さんぽめぐり〜1
著者 今田ずんばあらず 小宇治衒吾
価格 1000円
ジャンル 大衆小説
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紹介文
初版から8ヶ月で頒布数140部突破! 渾身の被災地青春ロードムービーです。
東京の大学に通う依利江は、友人三ツ葉の誘いから東北被災地を旅をします。
震災当初映像で見ただけだった依利江は、現状を見て大きな衝撃に襲われます。
でもそれで終わっちゃ意味ないです。覚悟不足なら覚悟不足らしく、そのままの心地で見ればいい。
着飾らない物語は依利江の目を通して直接読む方の胸に届くことでしょう。
第1巻は石巻市篇、陸前高田市篇です。実際に東北を旅してめぐった著者が描く、被災地の、今だ。

文庫 240P

「ねえ、三ツ葉」
「ん、なに」
「わたし、ここに来なかったほうがよかったのかもしれない」
「え」
 三ツ葉は意外そうな顔をした。それがショックで、弱音を吐いてしまったことに後悔した。
「わたし、準備不足だった」
 深く考えずに口走ってしまうの、本当にヤダ。でももう引き返せないので、思いの丈を吐くだけ吐いてしまいたかった。
「このまちのことや……石巻のことも、これからのまちのことも、なにも知らない。たくさんの人が犠牲になって、たくさんの人がまだ生活を取り戻せてない。苦しんでる。大勢仮設暮らししてるってことさえ知らなかった。せいぜい百人かなって。覚悟不足だった」
 怖かった。
 瓦礫とか、雑草とか、そういう怖さもあるけど、やっぱり人が怖い。わたしの発言を聞いてどういうふうに思われてるのかわからなくて、怖い。
 ここで自白したかったけど、言えなかった。三ツ葉との関係が壊れてしまいそうな気がして、それがなにより怖い。
「わたし、ここにいちゃ失礼だよ。言うこと言うこと、全部失礼になっちゃう。わたしは三ツ葉みたいに話うまくないし、空気も読めない。無自覚であのおじさんを傷付けまくってたんじゃないかって」
「依利江」
 三ツ葉はわたしの頭をそっと撫でた。
「大丈夫だよ」
 そう言った。
「依利江は大丈夫。あの人も握手してくれたじゃないか。嬉しそうに答えてたの、私覚えてるよ。遊びに来てくれって、そう言ってくれたじゃないか。歓迎してくれたってことだよ」
「でも、わたし、覚悟が……」
「いいんだ、覚悟不足でさ。依利江は依利江の見たいように見ればいいんだよ。覚悟抜きの目で見たっていいし、目を瞑ったって、私は依利江を責めないよ。私がいるんだから。苦しかったら頼っていいんだから」
 やさしい言葉がちくちく痛む。
 大きなタンクローリーが仮設の橋を渡る音が聞こえる。バイクがエンジンを唸らせて坂をぐんぐん上っていく。
「三ツ葉はなんでそんなわたしにやさしくしてくれるの? こんな、なんの取り得のないわたしのこと」
「依利江はさ、ちゃんと、見てくれるから」
「えと、ちゃん……?」
 その声は妙に小さかった。道路の音がうるさかった。大切な部分を聞き逃してしまった気がする。
「依利江は友達だからだよ」
 訂正して返してきた。
 三ツ葉は「ちゃんと」のあと、なんて言ったんだろう。「友達だから」って言葉じゃなかったはずだけど。


「『ジョー! きみはどこにおちたい?』知らない?」
『イリエの情景』は作者である今田ずんばあらずさんの体験に基づいた旅小説です。
「被災地さんぽめぐり」と副題があり、作者自身が被災地青春ロードムービーと銘打っているので作品の中心に東日本大震災があるのは間違いないですが、実はそこまで震災に重点が置かれているわけではありません。
その証拠に、1巻のメインの街である石巻篇では震災瓦礫についてはまったく触れられず、震災当時、新聞が印刷できずに各地に手書きの壁新聞を貼りだしていた石巻日日新聞のエピソードなどにも触れられていません。
おそらくそれは、震災そのものを語るのは別の作品に委ね、『イリエの情景』はもっと別の物を描きたいという意図があったからでしょう。この物語は、今田ずんばあらずさんが東北で見たものを、依利江という女性のフィルターを通して描かれています。
その結果、「」(かぎかっこ)という名前の和カフェでお茶を飲んだり、マンガロードでサイボーグ009について熱く語ったりしている。「『ジョー! きみはどこにおちたい?』知らない?」なんて。東北の街を訪れた女性ふたりの青春を描いているのです。
だから震災の物語と身構えず、多くのひとに気軽に読んでもらいたい作品です。
推薦者ひじりあや

なんにもない、は、そこにあるだろうか?
 なんにもない、という言葉が好きだ。
田舎に育った人々が自分の地元を評してこの言葉を使うことが多いかもしれない。
「僕の地元なんてなんにもないよ」
そこには、自嘲と、事実と、ほんのすこし愛着がある。
愛着という意味でいえば、なんにもない、に続く言葉がある。
「なんにもないが、あるんだよ」
それが分かっているから、どうしてなんにもないのか訊いたりはしない。
私は、この言葉が大好きだ。
しかし本作中で、被災地で会った人が自分の町を振り返って
「なんにもない町だから」
と呟いたとき、その言葉の重さに手を止めてしまった。
そこには、自嘲はあるだろうか。事実はあるだろうか。
愛着、という言葉の意味が分からなくなる。
分かっているから、どうしてなんにもないのか訊いたりしない。
そこに「なんにもない」はあるだろうか。

 イリエの情景は、
イリエとミツバという女の子ふたりが、
東日本大震災で被災した東北の町(石巻市/南三陸町)を訪れる物語だ。
ふたりは大学の文芸学部創作学科に属しており、
被災地について知るためその地を訪れようとするのは自然であっただろう。
その旅を提案したミツバは言う。

「発信するなんて誰でもできるよ。それよりは、自分自身の気持ちと対話したいと思うんだ」

 そんなミツバほど、イリエは被災地に興味を持てなかった。
代わりにイリエは、ミツバを知るためにその旅に付いていこうと決意する。
半ば軽薄な下心だったのかもしれない。
しかしふたりはそれを良しとした。
重苦しくなく、ただ被災地を訪れるため、旅にこの名前をつけた。

<被災地あるこ~東北ちょこっとふたり旅~>

 イリエが、ミツバが、被災地で見たものはなんだったのか。
それはこの推薦文では語りたくない。
イリエがそうであったように、言葉にしないほうがいいこともある。
ミツバがそう求めたように、ちゃんと見るほうが大切なこともある。
言葉にしなくても、言葉としてはなんにもなくても、そこにはある、のだ。
だからただ、この本を読んでほしい。

 あとがきで作者は語る。
本当はノンフィクションやルポライトとして書くつもりだった、と。
しかし書けなかった。
それはそのまま、イリエの姿なのかもしれない。
フィクションはフィクションであるかぎり、現実を越えることはない。
しかし、現実が現実を越えるような情景を前に、フィクションでしか書けないものはある。
このフィクションは、読者をその場所へ運んでくれる。
そういうふうに思う。
あなたの視点は、ミツバに重なるだろうか。イリエに重なるだろうか。
推薦者あまぶん公式推薦文

あえて言うなら、震災「啓発」小説
 平成23年3月11日、東日本に文字通り激震が走った。Mw9.0という俄かには信じがたいエネルギーを持つ超巨大地震が、日本の半分以上を襲い、中でも東北地方の太平洋側は津波によって甚大な被害をもたらした。
 震災の前の風景と、その後の風景。特に様変わりしたのは、言うまでもなく東北地方の太平洋側である。本作品は、震災を機にその後の東北について興味を持った女子大生2人が、被災地と呼ばれる地域を巡るという青春ロードストーリーと銘打たれている。確かに、彼女たちの青春の一場面を描いているという側面もないわけではない。しかしながら、この作品をほんの少しでも読んでみればわかると思うが、それはひとつの側面でしかなく、主軸となるものは震災後の被災地のすがたとそこで暮らしている人たちのありようだ。筆者はこれを現実以上に克明に描く努力を惜しまない。ただその現実だけを伝えるのであれば、統計情報や地図データを比較して、しっかりとした根拠を示しながら論理的に展開していく方がいい。しかし、この作品はあくまで小説、創作のいち形態に則った形でつづられている。それは、被災地の現状やその中に息づく人々の風景や暮らし、その感情の機微を、読者に最も臨場感ある形で、かつ、多角的に描くことが出来るのは小説しかないからである。
 だからこそぼくは、この作品について、あえて「震災"啓発""小説"」と題したい。彼女たちのキャラクターやシナリオは、もちろん必要不可欠な要素ではあるものの、それ以上に被災地の「生以上に生々しい」空気というものをぼくらの前に鮮烈に見せてくれる。

 彼女たちの旅を通して、あなたは何を考えますか?

 筆者の今田氏の問いかけ、それがこの小説の本質なのだろうと思う。

 などと、ぼく自身、ここで描かれているところとは別の被災地の出身なので辛気臭く書いてしまいましたが。
 どことなくお勉強やお役所的な形で紹介してしまいましたが、旅をしているふたりの女子大生の関係性や距離感なども同様のタッチでなにげなく描かれていてそこもまた読みどころではないかと思います。
 旅がしたくなる、そんな作品です。
推薦者ひざのうらはやお