キャンディと王様―第四話・桜がもし咲くなら
にゃんしー
 今年も新しい春が来た。らせんを描き繰り返し前に進む。ヒトのDNAは既に解読されたらしい。神様に与えられた最後の宿題。いつだって正しく間違っていたい。「そうすれば」接続詞をひとつ置いて、またいつもの場所に戻る。エントロピーは減らない。証明なんか、知りたくない。知らないことを知りたくない。明るくて、かわいくて、ばかです。いつだって強がりな、女の子。
 
 千船女子高に桜の木は、一本しかない。生徒はその桜の花によって春が来たことを知るはずだが、今年「も」桜は咲かなかった。そのごつごつした桜の肌を、島津校長がなぞる。島津校長が千船女子高に就任して、今年で五年になる。が、桜の花が咲いたのを見たことがない。桜の木のすぐそばには植樹年月が記載されていて、それにより島津校長が千船女子高の生徒だった頃も、この樹があったらしいことを知る。当時、桜の花は咲いていたのだろうか。その色は?その匂いは?島津校長は、桜の木肌に耳を当て、すました。何も聞こえない。
「カズミちゃん、何してんの?」
 島津校長が振り返ると、校舎の影から、女の子が一人歩いてきた。ストレートの黒髪が長く、背中まで垂れている。春の風に吹かれて揺れる。が、その風はまだずいぶんと冷たく、前髪の下に覗くその少女の表情と相似する。少し垂れ気味の目は大きく、二重まぶたが整っていて、美人と形容されても良いはずだ。事実、言い寄ってくる男子は多かったが、彼氏が出来たことはない。同性の友人すら殆どいなかった。刺すように冷たい視線が島津校長をじっと見据える。
「乙彼やん。元気してた?」
 乙彼、と呼ばれた少女は、島津校長の目を見つめたまま言った。
「うん、教室からカズミちゃんが見えたから来てみた」
 島津校長が校舎の二階を見上げる。
「そっか、二年生の教室からは、ここが見えるんやね」
 校舎と工場の間から見える四角い青い空を、白い雲が流れていく。
「進級おめでとう」
 島津校長が言うと、乙彼はため息を吐くように笑い、言った。
「別に何も変わんないよ。普通」
「それに」
「一年生の教室と違くて、教室から海が見えないから、つまんない」
 一年生の教室からは、学校のすぐ隣を流れる左門殿川が見える。乙彼はそれを「海」と表現した。
「でも」
 島津校長が言った。
「この桜の木が見えるのは、二年生の教室だけやで」
 乙彼が再度苦笑して言う。
「でも、毎年咲いてないじゃん」
 島津校長が、再び木肌に耳を当て、言った。
「桜がもし咲いたらねー……」
 乙彼も、木肌に耳を当てる。
 しばらく沈黙が続いたのち、乙彼が言った。
「この桜、生きてるよ」
「えっ」
 島津校長が高い声を上げて訊き返す。
「だって心臓の音聞こえるもん」
 乙彼が、木肌をさすりながら言った。
 島津校長が、三たび木肌に耳を当てる。
「……何も聞こえん」
「耳すましてみ。ほら、どきどきいってるよ」
「……うそお」
 乙彼が、島津校長の背中を叩いて言った。
「カズミちゃん、生理あがってんじゃないの」
 島津校長が振り返り、怒り気味に、
「ちょっと、どういう意味やねん」
 と言うと、乙彼はいじわるい笑みを浮かべて、
「恋してる少女にだけ、この音が聞こえるんだよ」
 と言い、校舎の向こうに歩いていった。
「乙彼、部活出えへんの?」
 島津校長がその背中に向けて声をかける。乙彼は振り向かずに、右手だけ挙げて、
「生理だから帰るわ。恋してるから。カズミちゃんと違って」
 と言い、校舎の影に消えていった。
 島津校長はそれを見送ったのち、また木肌に耳を当てる。やはり、何も聞こえない。そのまま空を見上げる。四角い空はまぶしいくらいに青く、少し目まいを感じて、島津校長は桜の木の根元に座り込んだ。桜の心臓の音は、あの頃なら聞こえたのだろうか。記憶を辿ると目まいが強くなるように思えて、島津校長は今を捉えるように腕時計を確認した。時間は、午後三時過ぎ。
 
 放課後、千船女子高の校庭に生徒の列が出来ていた。校門を挟むように二列。それぞれが手にビラを持っていて、列の間を抜けていく新入生にビラを渡していく。
「おねがいしまーす」
 という声がめいめいに響く。
 部活の勧誘である。千船女子高は、部活は特に盛んではない。校庭が狭いこともあるだろう。活動しているのは文化部ばかりで、例えば美術部、図書部、文芸部、家庭科部などがある。それに混じり、非公式の活動をしているサークルもいくつか勧誘活動をしていた。千船女子高の自由な校風もあり、非公式のサークル活動のほうが盛んであったかもしれない。軽音部、ダンス部、イベント部、旅行部などがこれに当たる。千船女子高野球部も、非公式サークルのほうに属していた。
「おねしゃーす」
 ひときわ大きな声が校庭に響く。千船女子高野球部、捕手兼キャプテン・神田川水樹の声だ。新入生たちが、若干気圧されるようにビラを受け取っていく。のんびりとビラを配っているのが右翼手の小比類巻花。水樹同様、強引気味であるのが二塁手の宮本青春。話しかけるように丁寧に配っているのが一塁手の佐々木悠。身体を固くし、遠慮気味にビラを配っているのが遊撃手の東出茜。三塁手の遠藤弥勒は、ビラを配るのを止めて他の部活の子と立ち話をしている。
 ビラ配りでは、強引さがひとつの武器となる。よって水樹や青春のビラを受け取った新入生は多かった。しかしそれ以上、人当りの良さからか、佐々木のビラを受け取る新入生が一番多いようであった。背が低い点も、安心を誘ったかもしれない。下から見上げるように、にっこりと笑ってビラを手渡していく。ビラの殆どは読まれずに捨てられるものだが、佐々木の配ったビラは、その場で読まれる割合も高いようであった。
「ねえ、見てみて、この学校、野球部があるんやて。面白くない?」
 新入生の間から、声が上がる。佐々木が、話しかけようとした。
「え、野球部って、ニュースでやってた襲撃事件起こしたとこやろ?」
 隣の新入生がそう答え、佐々木と目が合う。新入生の目が一瞬、びくっとした。佐々木は少し悲しそうに微笑み、話しかけるのを止めた。
 千船女子高野球部・襲撃事件の件は、昨年末にニュースで取り上げられたが、全国的にはそれほどのインパクトを残したわけではない。最初こそ大きく取り上げられはしたものの、ほんの数日で収まり、年が切り替わるのを契機にニュースに上がることは全く無くなった。しかし地元尼崎の、ましてや千船女子高を受験した新入生にとっては、本件を知らない者は一人としていない。受験校を決める際に少なからず判断材料として挙がっただろうし、また本件によって受験を回避した生徒もいただろう。確実に、マイナス材料であった。以降、野球部のビラを配る際にも、それを示唆するような新入生の反応はしばしば見られた。
 
「あかーん」
 水樹がソファに倒れ込み、声を上げた。千船女子高野球部は、非公式の部活ではあるが、部室を持っている。とはいえ、もちろん校内に部室を持つことは出来ないので、学校から左門殿川に沿って南に数分歩いた、川辺のバラックが野球部の部室であった。
 部室真ん中のローテーブルの上には配り切れなかったビラが山のように積まれていて、それを囲んで座る顔には一様に、沈うつな表情が浮かんでいる。青春がオーディオコンポをいじり、明るい曲に変えようとする。小比類巻はグラスに入ったオレンジジュースをちびちびとすする。佐々木は余ったビラの数を丁寧に数えている。東出は気まずそうに、茶色いグローブを弄る。持って帰ったビラの数では、東出が一番多かった。
 逆に一番多くビラを撒いたのは、最終的には遠藤だった。立ち話ばかりして遊んでいたように見えたが、いつの間にか要領よく担当分のビラを全て配り終えていた。部室の中でひとり明るい顔をして、本棚の前に立ったまま「ダイヤのA」を読みふけっている。
「どうしよう、このままじゃ、試合できないよね」
 小比類巻が、暗い声で言った。千船女子高野球部のメンバーは、いま部室にいるメンバーの他に、エースの乙彼若菜がいる。乙彼を加えても部員は七人で、試合をするには二人足りない。試合の時にだけ参加してくれるメンバーはこれまでも数人いたが、襲撃事件を契機に関係性が変わってしまった。そのメンバーが参加を拒否するようになったということでは決してない。むしろ「私は野球部の味方だから」「これからも試合があったら呼んでよ」と、あたたかい言葉をかけてくれていた。どちらかというと、変わったのは野球部側だった。試合になると、野次が飛ばされることも予想された。その場においても野球という共通項でもって戦っていけるような、正規メンバーだけで部員を構成することは、先の打ち合わせで合意されたことだった。
 なお、その打ち合わせに参加したメンバーのうち、乙彼と東出は、襲撃事件に関与していない。東出は「やるならもっとうまくやってくださいよ」とコメントを残した。事実上、襲撃事件を許容したことになる。乙彼だけは、終始ぶすっとしていて、その打ち合わせでは全く発言しなかった。
「そういえば乙彼は?」
 佐々木が少し遠慮気味に、水樹に向かって問いかけた。水樹は、静かに首を横に振る。乙彼は、ビラ配りにも参加しなかったし、部室にも来ていない。二年生になって、乙彼は他メンバーとクラスが別れたため、登校しているかどうかすら誰も知らなかった。
 水樹がソファから跳ね上がるようにして立ち上がり、言った。
「よし、練習に行くか」
 
 千船女子高野球部の練習は、部室から歩いてすぐの小田南公園にて行われる。阪神本線・阪神なんば線・左門殿川とで区切られたデルタ地帯に開けた、大きな公園である。野球場もひとつあるが、使用手続きが必要であるため、試合以外では使わない。練習はその隣の、大広場にて行う。こちらの広場も野球場一面くらいの大きさがある。
 白地に赤のストライプが入ったユニフォームを着た千船女子高の面々が、大広場の芝生上に並ぶ。まずストレッチ。そしてキャッチボール。キャッチボールは最初は近い距離で行うが、徐々に距離を離していく。右翼手・小比類巻、三塁手・遠藤の強肩コンビは、特に50m近い距離を置いてキャッチボールをしている。それからノック。千船女子高野球部は、守備と走塁に定評があるチームである。ノックには特に力を入れていた。水樹が金属バットを持ち、次々と強打を放つ。二塁手・青春が、遊撃手・東出が、浅い位置で速い打球を軽々とさばく。三塁線にライナーが飛ぶと、三塁手・遠藤が逆シングルの横っとびで好捕し、身体を一回転させ上半身だけで一塁に送球した。一塁手・佐々木がそれをワンバウンドで掴む。ライトに深い打球を上げると「ホーム!」と声が飛ぶ。右翼手・小比類巻は着地点より少し深い位置まで下がり、助走をつけて捕球するとそのままホームまでノーバウンド送球した。
「花!送球は速いけど、コースが良くない!ワンバウンドでええから、ホームベース狙って投げて!」
 水樹が小比類巻に向かって、大声を上げる。
 
「あの……」
 一人の女子が、水樹に声をかけた。が、水樹は気付かず、内野の守備隊形に指示を入れている。
「あの!」
 その女子がひときわ大きな声を上げると、水樹はようやく振り向いた。
 そこに立っているのは、ジャージを着た女子だった。黒色のボトムスには、サイドに赤いラインが三本入っている。長袖のシャツはカーキ色で、ツートンカラーで袖の部分だけがオレンジ色になっている。身長は普通くらいだが、ぽっちゃりと形容するには太りすぎだろう。お腹回りのシャツがピチピチになっている。
 少しおどおどと水樹を見つめるおかっぱ頭を認めると、水樹の顔がとたんに輝いた。
「早川やん!来てくれたん!?」
 早川香織と水樹とは、小中高と学校が同じであった。しかし、お互い後になってようやくそれに気づくほど、全く接点がなかった。高一になって、初めて同じクラスになるが、これも接点と呼べるほどのものではなく、ある試合を早川がたまたま観戦したことがきっかけで、野球に関して話をするようになった。この時点では、早川は水樹のファンに過ぎないという関係性である。しかし、いつかは野球をやりたいと早川はずっと思っていた。より正確には、水樹と同じグラウンドに立ちたいと、そういう願望がずっとあった。
 水樹に促されて自己紹介をした際には、その点には触れなかった。
「二年E組の早川香織です。野球がやってみたいです。宜しくお願いします」
 と、ごく簡単にだけ話した。大きな拍手と、歓声が上がる。
「野球経験ってあるん?」
 遠藤から、質問が飛ぶ。
「ない……ですけど、バッティングセンターでヒャクくらいなら打てます」
 そう答えると、また歓声が上がる。
 早川は、運動神経がいいわけではない。ただ、いわゆる努力家であった。半年前の夏の日、水樹に憧れて以降、野球部に入るためにバッティングセンターに通いつめていた。
 遠藤は立ち上がり、腕を数回回すと、嬉しそうに言った。
「じゃあちょっと、やってみよっか」
 
 千船女子高野球部では、ピッチャーは乙彼だけである。昨年の全ての試合において、乙彼がマウンドに上がり、最後まで投げ切った。とはいえ小中において投手を経験したことのあるメンバーは数人いて、遠藤もその一人だった。
 安定したオーバースローから投げ込まれた速球が、水樹のミットに乾いた音を立てる。他のメンバーから、おお、という声が上がる。
「どう?水樹。ヒャクくらい出ちょるじゃろ」
「いいねー、遠藤。これ、エースの座奪えるんちゃう」
「まじで」
 数球投球練習したのち、水樹が早川にバッターボックスに入るよう促した。
 
 初球、真ん中あたりへのストレートを、早川は見逃した。2球目、同じく真ん中あたりのストレートを振るが、明らかな振り遅れ。3球目も同じ。
「どう?早川。バッセンより打ちにくいじゃろ?」
 遠藤が水樹からの返球を受け取ると、帽子を直し嬉しそうに笑って言う。
「よく見て、タイミング測ってやってみ。当てようとすんなよ。振り切れよ」
 水樹が後ろからアドバイスを送る。早川が水樹の言葉を反芻するようにうなずき、少し力を入れて構える。
 4球目、高めの球を当てるが、キャッチャー真後ろへ転がっていった。
「いったーい」
 早川が手を抑えて叫ぶ。
「ははは。バッセンで打ってたの軟球じゃろ?硬球は痛い」
「でもな、芯で捉えたときの感触は、硬球のほうが病み付きになるでー」
 遠藤、水樹が口ぐちにコメントする。他のメンバーが守備位置から、
「早川、がんばれー」
 とそれぞれ声を上げる。
 10数球、ファウルと空振りを繰り返したのち、水樹が早川の二の腕を揉んで言った。
「力抜いてみ。手を抜くんちゃうで。リラックスして、打つ瞬間にパワーを集中させんねん」
 それから水樹は、早川の頭をぽんぽん叩き、にっこり笑って言った。
「早川なら、芯に当てたらめっちゃ飛ばせるて。千船女子高野球部初のホームラン、打ってみてや」
 早川は二度三度、その言葉を噛みしめた。先ほどよりも、力がうまく抜けているのが分かる。技術論が理解できたわけではない。ただ、期待されたことが嬉しかった。モチベーションがパフォーマンスに繋がる。次の球、真ん中外角のそれを真芯でハードヒットした。ライト方向に高く高く上がった打球を、痺れるような打撃音が追いかける。
「おお、すげー」
 誰ともなく声を上げ、皆一様に、その打球を目で追った。公園の端まで飛んだ打球は、しかし、公園の端にたまっていた女子たちの一群に落ちていった。高く細い悲鳴が上がる。
「やべっ」
 水樹は即座に、その女子たちのほうに走って行った。
 
「本当に、ごめんなさい」
 水樹が、深く頭を下げる。他の野球部員も同じく。早川は、その一番後ろで顔を青くして、とりわけ深く頭を下げていた。
「気を付けてよね、水樹さん。みんなで使うスペースなんやから。誰も怪我せんかったからええけど」
 その女子の中のリーダーらしい子がボールを水樹に手渡し、軽く咎めるように言う。うち何人か、見知った顔がいる。千船女子高の生徒だ。相手も当然野球部については知っているようで、身内だからかこの場は穏便に収まりそうだった。
 水樹が最後に大きく頭を下げ、帰っていこうとすると、後ろから、
「ほんとに、暴力野球部ですよねー」
 と声が飛んだ。水樹が振り返り、反射的にそちらを睨む。
 女子の中でとりわけ背が高く、細い。ジャージに沿って見える身体のラインが美しい曲線を描いている。足が長く、背に棒を刺したように堂々と起立する。厚めの化粧にはくっきりした二重まぶたが映え、瞬きのたびに長すぎないつけまつ毛が揺れる。大きな涙袋は、攻撃性の象徴という。肩くらいまでの髪は茶色く、前髪をカチューシャでアップにしている。緑色の長いエクステが一筋、角のように目立っていた。
「うちらダンス部ってガチでやってるんで。先輩みたいな遊びの野球部に邪魔されたくないんですよ」
 水樹の目を見据えたまま、ハスキーがかった声ではきはきと喋る。他の女子が、「弥生、やめなよ」と声をかけるが、その「弥生」と呼ばれた女子は、姿勢を崩さない。
「うちらだって、遊びでやってねえよ」
 水樹が凄むが、弥生は動じない。
「襲撃事件なんか、意識の低さの象徴じゃないですか。先輩たち、草野球なんでしょ。ただの趣味でしょ。うちら、プロ指向なんです。邪魔なんで、端っこに引っ込んでてもらえます?」
 水樹はしかし、言い返せない。弥生の言ったことは、ある意味では当を得ていたかもしれない。草野球をすることは、彼女たちが好きで選んだことだ。その一方で、負い目としてある。それはアマチュアとして活動することを選んだ全ての人が抱える弱みであるかもしれない。プロというものに対し、アマチュアは明確に「下位」と序列つけられてしまうものではないかと恐れている。
 (趣味じゃない)
 それに次ぐ言葉が言えず、水樹は黙り込む。
 弥生はさらに挑発するように言った。
「試してみます?私、簡単に打ち返せる自信ありますよ」
 
 弥生は、金属バットを不思議そうに眺めると、「ふうん」と小さく呟いて、数度素振りをした。未経験者らしいアンバランスなフォームとは裏腹に、しかしスイングは速い。
 ピッチャーは、遠藤が務めた。
 初球、高めの直球を、弥生はいとも簡単にセンター前に転がした。
「あれ?」
 遠藤が呟く。
「いまの、投球練習ですか?」
 弥生が失望したように目を細め、遠藤を見つめて言う。
「セヤネン。投球練習ヤネン」
 遠藤が嘘くさい関西弁でそう言い、再度振りかぶる。次の球も、同じく軽々とセンター前へ運んだ。
「かしーな。調子デエヘン」
 きれいなセンター前へのヒット性の当たりが数球続いた。
 遠藤は後ろを向き、ぽりぽりと頭をかくと、
「ウチ、ブラジャー外すとヒャクゴジュウ出るネン!」
 と言い、背中からブラジャーのホックに手を当てた。
「やめえ!」
 と水樹が半笑いで叫び、立ち上がる。
 
 弥生たちのダンス練習を、水樹らは体育座りで眺めていた。
「うめーな」
「うん」
 放心したように言葉を交わす。
 時折、遠藤が、
「ごめん」
 と言うが、特に返事をするものはいない。
「でも、すごいね、あの弥生って子」
 早川が思い切ったように言う。
「何がやねん」
 ずっと黙っていた水樹が吐き捨てるように言うが、「すごい」ということは否定しなかった。
「素人であんだけできるってことは、野球やらせたら凄いかもね」
 小比類巻がそう言う。
「むかつくねん。あんな奴!」
 水樹がふさぎ込む。弥生の言うことを否定できなかった。言葉でも、行動でも。それは等しく、大好きな草野球を否定されたということでもあった。目の前を、弥生たちが跳ねるように踊る。ダンス部の女子たちの中でも、弥生のダンスはひときわ鋭く、また美しく見えた。
 
「なにしてんの?あんたたち」
 背後からふいに話しかけられ、振り向くと、垣根の向こうには千船女子高野球部エース、乙彼若菜が、自転車で片足をついて立っていた。口元には、いつものチュッパチャップス。水樹が声を上げる。
「お前こそ、何やってんだよ!」
 
 水樹らの話を興味なさそうに聞いたあと、乙彼は言った。
「私がなんとかしてあげよっか?」
 水樹が聞く。
「どういうこと?」
「だから、その弥生って子を抑えたらいいんでしょ?」
 水樹らが止める間もなく、乙彼はダンス練習をする弥生のほうに歩いていった。
「ねえ、緑色のエクステ。あんたが弥生って子でしょ?」
 乙彼は、ダンスを続ける女子の間を遠慮もせずに歩いて行くと、弥生に声をかけた。弥生は、迷惑そうに振り返ると、乙彼の姿を認め、ダンスを止めると目を見開いて叫んだ。
「お前、乙彼若菜!」
 その声の大きさに驚いた他の女子も踊るのを止め、ラジカセから「チョコレイト・ディスコ」だけが流れる。
「あれ、どこかで会ったっけ?」
 乙彼が首をかしげて言う。
「佃中の!一個下の!如月弥生だってば!」
「きさらぎ?やよい?同じ中学なん?」
 乙彼はチュッパチャップスを舌先で転がしたまま、要領を得ない。弥生は、やる気のなさそうな乙彼の目を睨んだ後、ぷいとそっぽを向いた。
 
 (私は一生忘れないと思う)
 
 如月弥生は、千船の普通の家庭に生まれた。父は新大阪でSEの仕事をしている。母は同じ会社の営業。兄弟はいない。両親の帰りは遅く、阪神千船駅近くの大型団地の一室で、小さいときから殆どの時間を一人で過ごした。今の日本社会では、特に珍しいことではないだろう。ただ、音楽が好きだった。弥生の部屋から音楽が途切れたことはない。音楽をかけたまま寝入り、日をまたいで家に帰ってきた両親がそれを止めたことも何回あるだろう。寂しかったのかもしれない。気分を高揚させるような、アップテンポの音楽が特に好きだった。自然と踊るようになる。時にはミュージックビデオを見ながら、見よう見まねで。お金には困っていなかったので、小学校の中学年からダンススクールに通うようになった。当時尼崎にはダンススクールが少なく、阪神電車で大阪まで通った。上達は、非常に早かった。ダンスが好きだから、というのもあるだろうし、また才能もあった。中学に上がる頃には身長は160㎝まで伸び、スタイルもモデルにも見劣りしないくらい良かった。中学一年の際、ダンスコンクールの全国大会で優勝を果たす。中学二年の際にも、優勝。大会初の二連覇だった。全国のダンス関係者の間で、如月弥生の名前は広く知られるようになった。
 佃中の秋の学園祭で、学校主催のダンス大会が開かれることになった。弥生の二連覇を受けて、急遽開催が決まった。弥生のための大会であったし、実力的にも弥生の優勝は規定路線であっただろう。佃中にはクラスが12クラスあり、これに一般参加を加えての、16人でのトーナメントで開催された。交互に五分間ダンスし、それに対し七人の審査員が優劣をジャッジし、多かったほうが勝ちというシンプルなルールだった。弥生の優勝に花を添えるためだろう。審査員は、関西のダンス界で権威あるメンバーが選ばれた。
 勝って当たり前、という緊張は、弥生にはなかった。ただ、ダンスができることが嬉しかった。特にこの日は、両親が仕事を休んで見に来てくれるということだった。両親は仕事柄、休みが取れることはほとんどなく、休日出勤することもざらだった。きちんとした舞台で両親にダンスを披露するのは、これが初めてだった。
 体育館のステージ袖で、出演者が順番を待っている。その中で、弥生は待ちきれずに踊っていた。他の出演者がその練習を見ながら、あまりのレベルの違いにため息をつく。
「ねえ、ダンスって面白いの?」
 その中で、遠慮せずに弥生に話しかけてくる女の子がいた。胸元につけられたエントリー№を見て、初戦で当たる相手だと分かった。弥生より背は低いが、女子としては高いほうだろう。スタイルがよく、またストレートな黒髪がよく映える美人だった。
 それが乙彼若菜だった。
 弥生は高いテンションを崩さず、ダンスの面白さを語り尽くせないほどに語った。乙彼は何度か小さく頷いてそれを聞いた後、最後に、
「楽しみにしてるね」
 と言った。
 弥生のエントリー№は9で、乙彼のエントリー№は10。五試合目で、先攻・弥生、後攻・乙彼である。
 弥生がステージに立つだけで、大きなどよめきと、拍手すら起こった。弥生がダンスの音楽に選んだのは、THA BLUE HERBの「未来は俺等の手の中」というHIP HOPの曲だった。決して有名な曲ではなく、完全にアンダーグラウンドな、暗い曲だった。しかし、弥生が一番好きな曲だった。その年のダンス大会の決勝で披露した曲だ。その曲を一発目に持ってきたのは、校内大会をなめてかかっていたわけではない。両親含め、親しい人々、好きな人々の前で、大好きなダンスを踊れる。その喜びそのままに、待ちきれないように一番好きな曲を選択した。BOSS THE MCの出鱈目なリズムに、いとも簡単に振りを乗せていく。そのたびに客席から歓声が上がる。皆とひとつになる。今までで一番のダンスだったかもしれない。踊り終わったとき、自然と最高の笑顔が零れ、客席から大歓声と割れんばかりの拍手が上がった。
 ステージ袖に下がる弥生とすれ違うとき、乙彼はこう言った。
「なんか、分かっちゃった」
 弥生は振り返る。ステージのまぶしいライトの下に、乙彼が消えていく。
 乙彼がステージに上がると、客席には先ほどの余韻のようにざわめきが大きく残っていた。乙彼はそれを気にも留めず、ステージの真ん中にゆるく立って音楽が始まるのを待っていた。そして、音楽が始まった。
「腕を前から上に大きく、背伸びの運動です」
 その音楽が流れだした際、客席を大爆笑が包んだ。誰もが知っているその曲は間違いなく、「ラジオ体操第一」だった。乙彼は恥ずかしそうに顔を真っ赤に染め、やけくそのようにとにかく元気よく身体を動かした。客席から「かわいー」という声と笑いが波のように起こる。
 年齢の高い保護者たちが、先にそれに気が付いた。元気に踊る乙彼の姿は、自分の息子や娘、あるいは自分自身が、まだ小さかった子どもの頃に、よく似ていると思ったのだ。懐かしむような優しい沈黙が、後方の保護者席から、場内に広がり、客席はだんだんと、だんだんと静かになっていった。
 それを感じ取った乙彼の、体操が変質した。見られているということを意識し始め、丁寧に身体を動かすようになった。表情はわずかな恥じらいを含み、最初はぎこちなく、しかし徐々に、大らかな身体の使い方を指の先までも覚え始める。それは戸惑いながらも成長していく、思春期の姿に見えた。場内は完全に沈黙し、ラジオ体操の切ないピアノ音だけが響く。
 最後の深呼吸。大きな、美しい身体の動きは、場内全体を包んだ感傷を受け止めているかのようだった。悲しそうな表情は、涙を堪えているようにも見えて、同時に大人になることの痛みに違いなかった。ぐずるような呻きが、生徒の席からも起こり始めた。
 踊り終わった後、乙彼は、にっこりと微笑んだ。青春というひとつの変相を終えた、喜びのように。
 会場からは、歓声も、拍手も上がらなかった。
 乙彼は小さくおじぎすると、ステージ袖に引っ込んだ。
 進行役が若干戸惑いながら、ジャッジを促した。ドラムロールの後、旗が上がる。審査員の判定は、0―7で、乙彼のストレート勝ちだった。思い出したかのように、場内に破裂音のような拍手が響いた。
 ステージ袖で茫然としている弥生のところに乙彼が歩いていき、こう言った。
「ダンスって、あんまりおもしろくないね」
 乙彼はその後、姿を消し、次の試合は不戦敗になった。優勝は弥生でも乙彼でもない、それなりによく出来たダンスを踊った生徒が獲得した。
 家に帰って、弥生は号泣した。いつもの一人の家ではなく、父も母もいる家で。しかし今までのどんな時よりも、弥生は孤独だった。
 
 
「なんでもいいけどさ、野球で勝負してくんない?うちのチームがグラウンド使いたいらしいんでさ」
 乙彼がチュッパチャップスを舐めながら、甘ったるい口調で言う。弥生はそれを睨みながら、頷いた。
 
 乙彼が遠藤にグローブを借り、軽く叩くと、マウンドに立った。捕手・水樹に対し、数回投球練習をする。弥生は、金属バットを杖のようについたまま、それをじっと見ている。
「どっちが勝つかな」
 小比類巻が、不安げに、小声で言った。
「さすがに乙彼でしょ。だって男子高校生だって抑えることあるんだよ」
 佐々木も小声で答える。小比類巻が、祈るように手を組んで、
「でも、さっきの弥生って子の打席、すごかった」
 と呟いた。
 
 乙彼が、弥生に打席に入るよう促すと、弥生は、左打席に入った。
「あれ?左打席?」
 青春が言うと、後ろに立っていたダンス部の女子が、
「うん、弥生は、左利きやで」
 と言った。
 遠藤が、放心したように呟く。
「さっきの右打席は何じゃったん……」
 
「ねえ、その口に咥えてるやつ、取ってくれないですか?むかつくんで」
 弥生が、打席から乙彼に対してそう言う。乙彼は、依然チュッパチャップスを舐めながら、
「打たれたら取りますよ」
 と言った。続いて乙彼は、
「なんなら、一本ヒット打たれるたびに、服脱ごうか?」
 と言った。ダンス部および野球部から、戸惑いの混じった声が上がる。
「ねえ、今の聞いた?」
 弥生は、ダンス部に向けて、数度問いかけると、
「真っ裸にしてあげますよ」
 と言い、構える。
 乙彼は、少し間を取り、水樹に対しこう言った。
「水樹、5割の力だとさすがに打たれると思うから、8割出していい?」
 弥生が言うより先に水樹が、
「10割で来いや!」
 と怒声を上げた。乙彼はグローブをぐにぐにしながら、
「肩は消耗品だからなあ」
 と言い、続けて、
「私プロになる予定だから、無駄な投球したくないんだよね」
 とへらへらした半笑いで言った。「プロになる」この言葉は、乙彼のジョークである。プロについて言及した、先の弥生の発言は当然知らずに言った言葉だろう。いずれにせよ、プロを目指している弥生にとって、侮辱の言葉として聞こえる。弥生の頭に、かっと血が上る。
 乙彼はようやく、振りかぶり投球を始めた。
 
 かつて弥生は、ダンスを乙彼に否定された。その逆に、ここでは乙彼の野球を否定したかっただろう。それが余計な力みを生んだか?先の怒りが、パフォーマンスを奪ったか?仮にもエースである乙彼に対し、素人の弥生では単純に実力不足であったか?理由はいくつか挙がる。ともあれ結果だけを率直に言うのであれば、乙彼の投球に対し、弥生のスイングは一球も、かすることすらなかった。圧巻の投球だった。ストレートはクロスファイアに内角高めを抉り、スローカーブは外角低めの一番端だけをかすめ、シンカーは逃げていった。どの球種においても、タイミング・打点の両方において完全に外れたところを振っていた。
「ねえ、まだやんの?」
 50球近く投げただろうか。乙彼が腰に手を当て、投げやりに弥生に問いかける。
「うるさい、投げてこい」
 弥生は肩で息をしながら、構えを崩さない。
 乙彼は少し考えたのち、セーラー服のリボンを外し、地面に落とした。
「この分で一本ヒット打っていいよ。それでもう帰っていいでしょ?」
 そして乙彼は、ど真ん中にスローボールを投げた。弥生はそれをフルスイングし、ド派手に空振りしてそのままこける。
 乙彼が言った。
「だっさ」
 弥生は、地面に尻もちをついたまま、ぐずぐずと泣き始めた。水樹は、気まずそうに他の野球部員に、
「帰るか」
 と声をかける。野球部員がそそくさと公園を後にする一方で、ダンス部員たちは、懸命に弥生を慰めていた。当然、乙彼はとっくに姿を消していた。
 
 JR尼崎駅前のショッピングモールCOCOEには、ビレッジバンガードという雑貨屋がテナントとして入っていた。都市部に多い、マニアックな面白雑貨を中心に扱う店である。お洒落な格好をした、サブカル系の中高生がしばしば出入りをしていた。
 如月弥生もよくビレッジバンガードには来ていたが、その目的は音楽だった。弥生は、オリコンチャートに入るようないわゆるメジャーな音楽は聞かない。2000年代以降の音楽の特徴と云えるだろうか、無難に過ぎるからだ。誰かが見つけた道の上を上手になぞる音楽よりも、新しい道を見つけるようなそんな音楽が好きだった。もちろんそんな音楽には、まだマーケットはない。一般流通も少なく、購入するにはウェブ上で買うか、ビレッジバンガードのような店に来るしかない。
 いつものようにCDを手に取り、試聴を繰り返していると、隣に気配を感じた。振り向くとそこには、乙彼若菜が立っていた。乙彼は言った。
「あ、泣き虫」
 弥生は口を尖らし、それに反論するでもなくこう応えた。
「乙彼さんもビレバンに来るんですね。好きな音楽でもあるんですか?」
 乙彼はCDをとっかえひっかえしながら、こう答える。
「いや、特にない」
 弥生は、乙彼が散らかしたCDを棚に戻しながら、こう聞いた。
「好きなミュージシャンとかいないんですか?」
 乙彼は少し考えた後、こう答える。
「にゃんしー……かな」
「誰ですかそれ?」
「尼崎のミュージシャン。きみは1人だ♪僕も1人だ♪1+1は2♪って」
「……何それ。変なの」
「うん私、変なのが好き」
 乙彼は笑って答える。掴みどころがないな、弥生はそう思った。
 乙彼が他のコーナーに歩いて行くのを、弥生は追いかけた。乙彼が立ち止ったタイミングで、弥生は後ろから声をかけた。
「乙彼さんって、なんで野球やってるんですか?」
 乙彼は答えない。
「乙彼さんくらい……才能があったら、何でもできそうじゃないですか。バレーとか、テニスとか、……ダンスでも。なんでよりによって、野球なんですか?」
「……うーん」
 乙彼は、じっと悩んでいる。弥生が背中越しに見ると、さくらももこの漫画「永沢君」を手に取って考え込んでいた。
「これ、買ったほうがいいと思う?」
 弥生は少し頭痛を覚え、頭を押さえた。乙彼はしばらく悩んだ後、「永沢君」を本棚に置いてそのままビレッジバンガードの外へ出ていった。弥生はすぐさま追いかけ、再び後ろから声をかける。
「ねえ、なんで野球やってんの!?」
 乙彼は、ようやく振り向く。そして、髪の毛をかき分け、言った。
「知りたい?」
 乙彼は足早に歩いていく。弥生は小走りで追いかける。じき、乙彼はCOCOEの中庭に辿り着いた。
 乙彼は、
「ちょっと離れて」
 と言うと、安っぽいナイロン製のボストンバッグから、ボールを取り出した。それを弥生に見せると、言った。
「キャッチボールやろう」
 乙彼と弥生の、キャッチボールが始まった。その間、乙彼は何も言わない。弥生も何も言わない。延々と取りやすい緩球だけを投げていく。乙彼はもちろんコントロールよく投げる。弥生も未経験ながら、左投げで上手に投げていく。
 それを数十回繰り返した後、乙彼はボールをボストンバッグに仕舞い、帰ろうとした。
「ちょっと!」
 弥生が声をかける。
「野球やってる理由、教えてくれないんですか?」
 乙彼は、面倒くさそうに伸びをして、言った。
「そんなん、自分で探してよ」
 乙彼は手を振り、そしてCOCOEの奥に消えていく。弥生は、その背中が消えても、しばらくCOCOEの中庭に佇んでいた。
 
「睦月、如月、弥生。その次なんだっけ?」
 校舎の隅、千船女子高のたった一本の桜の木の下にしゃがみ込み、乙彼が島津校長に話しかける。島津校長は桜にもたれかかったまま少し悩んだのち、
「うち、国語は苦手だったんだよねえ」
 と言った。
「カズミちゃん、得意な科目とかあったん?」
 乙彼がからかい気味に言う。
 ふいに乙彼が目線を上げると、校舎の影から、弥生が歩いてきた。
「ねえ、睦月・如月・弥生の次って何だっけ?」
 乙彼が聞くと、弥生は、
「桜、じゃないですか」
 そう答えた。乙彼は、あはは、と笑い、次いで「それいいね」と言った。
 乙彼は、桜の木を指さし、
「ねえ、この桜、咲くと思う?」
 と弥生に聞いた。
「分かりません」
 弥生はそう答え、桜の肌を手でさすり、言った。
「分かってないことを、分かりたいです」
 その真っ直ぐな瞳を見て、乙彼は、自分に似ていると思った。それも、“キャンディ”と呼ばれる前の自分に。
「かわいくないなあ」
 乙彼はそう嘯き、ボストンバッグを持ちあげた。隙間から、硬球がひとつ落ちて、転がった。弥生が先に、それを拾った。
 乙彼が、弥生に、
「いく?」
 と訊くと、弥生は頷いた。

 左門殿川沿いの、千船女子高から部室までの道。乙彼と弥生が並んで歩いている。会話は、特にない。
 野球部に新しい部員が、また増えた。

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